『私と同い歳の父親』

2023年8月15日、大学で夏期集中講義の初日が終わった夕方頃、とんでもなく重たい荷物が我が家に届いていた。それは、私の幼少期の頃の写真アルバムの数々だ。
親戚のおじさんに頼み込み、燃やして処分される寸前だった私の幼少期の写真アルバムを母親の元から取ってきてもらい、今残っている分だけでもと送ってもらったのだ。
「普通、自分の子供が赤ちゃんや本当に小さい子供だった頃の写真アルバムを燃やすか?」と疑問に思うが、うちの母親はだいぶイカれてしまっているので色々と仕方がない。
とりあえず、無事にアルバムが届いたことをおじさんにLINEで報告し、沢山の感謝の言葉をメッセージとして送った。

 

母親とは入学金の話と、新居の入居手続きのことについて話した以来、ある1回を除いて、大学に入ってから約1年半連絡を絶っている。それ故に北海道に住んでいて、ある程度私の母親と交流のある親戚のおじさんに頼み込まないと自分のアルバムさえも手に入らなかったのだ。親子の仲があんまり良くないのは結構難儀なもんである。

 

送られてきた写真アルバムや、アルバムがまとめられて入っていたビニール袋は、私の母親が、一日に吸うたばこの本数がまぁまぁ多い喫煙者だったことによって煙に晒され続けており、酷く黄ばんでいた。ページをめくる度に母親が吸っていたセブンスター・10・ボックスの臭いがした。黄ばみも臭いもアルバムに染み付いて取れない。懐かしいけどあまり嗅ぎたくない臭いだった。

 

写真には色んなポーズや格好をしている赤ちゃんの頃の私が写っている。
臍の緒を取った瞬間を撮った写真、出産当時私と母親の手足に付いていたリストバンド、病院を出て初めて家に来た時の写真、100日記念のなんだか目出度い高級そうな布を着ている私が写っている良さげなケースに入っている写真などなど、ちょっとしたものや、色んな写真が挟まってあった。アルバムは大きさと重さの割にあまり中身が入っていないんだな〜と驚いた。


たびたび、写真の横には「何を見ているのかな♡かわいいももちゃん!♡ハイ、ポーズ」「たくさん寝ていてえらいねももちゃん🌷スヤスヤ💤」などなど少しイタい感じの文体と手癖である独特なフォントで書かれた、若い頃の母親の一言コメントが添えられている。どうやらこの頃は、私もきちんとお母さんからの愛を存分に受けていたらしい。

その中に「かつのりパパとももちゃん。パパはなにをしているのかな?そんなのおかまいなしで、ハイ!!ポーズでちゅうのももちゃんでした」というメモが添えられた写真があった。
ガチめに文体がキツすぎる。特に「ポーズでちゅう」がえぐい。昭和くらいのおばさんの臭いがする。読んだ時、文体のキツさと独特のフォントの威力によってだいぶ腹を抱えて笑ってしまった。


このメモの「かつのり」と「パパ」の文字は黒ボールペンでぐりぐりと塗りつぶされていた。塗りつぶされてはいたが元の文字がハッキリ見えていた。おそらく母親が彼と別れた後に塗りつぶしたのだろう。

このメモが添えられた写真はメインで赤ちゃんの頃の私の顔面がドアップが撮られていて、私の顔の後ろには胡座をかいて座り、PlayStation2のコントローラーを握っている男性の首から下の姿が写っている。多分ドラクエVかVIIIをやっている。もし、この二つでなければトルネコの大冒険3をやっているんだと思う。これがまぁ、その、「かつのり(克典)パパ」である。

 

かつのりパパは、私の名付け親だ。

 

私には「百華(ももか)」というこの身に余るくらい大変、非常に、スーパーアルティメット可愛い名前がついているのだが、母親曰く、もし私が男に産まれていたら「圭華(けいか)」という名前になっていたらしい。
小学校であった「自分の名前の由来を聞こう!」的な内容の授業がきっかけで母親に聞いた時に知ったことだ。
当時の母親は「ももの名前はね、かっちゃん(かつのりパパの愛称)が付けてくれたの!」と明るく言っていた。


「百華(ももか)」は華(お花)が百個もあって煌びやかな感じがするし、「圭華(けいか)」だったら「圭」は角のあるものや宝石の意味があって、「華」との感じの相性も良く、なんだか輝かしい印象だ。もし男に産まれていたら名前全体が凛とした印象になっていてかっこいいと思った。まぁ、どちらも大変綺麗な感じの印象の良い名前である。
こんな素敵な名前は中卒である私の母親だけではどちらも思いつかないような難しい名前だ。ありがとうかつのりパパ。この名前で決定されたことにとても感謝している。もし私の母親だけで名前が考えられていたらえぐいキラキラネームになっていたかもしれない。


でも、ひとつ、今更ながら要望を言うとすれば、女に産まれたとしても「圭華(けいか)」という名前をつけて欲しかった。私はそっちの方がかっこよくて好みだった。ごめんな、かつのりパパ。私は名前ほど可愛い人間に成れていない。

 

かつのりパパは、当時大学生だった。北海道の北見にある工業大学の学生だったらしい。他にも彼が写っている写真が何枚か、送られてきたアルバムの中に挟んであった。写真に写る彼はほぼほぼ、灰色のフード付きパーカーの中に青いチェックシャツの襟をのぞかせていて、ジーパンを履いている。いかにも平成の理系大学生といった感じの服装だ。線が細めで幅も狭めの眼鏡をかけていた。母親曰く、彼は結構目が悪かったらしい。写真に写っていた手は線がとても細くて全体的になよなよしてヒョロッとした印象である。ちゃんと飯を食ってたんだろうか、この男。

 

写真の中ではそんな見た目の男が、赤ちゃんでぷくっとした見た目の私を抱き座っていて、見た目が色々とアンバランスである。まるで親戚の子供でも抱いているかのような感じだ。大学生のそれくらいの歳なら、膝に乗せている赤ちゃんの手よりもゲームのコントローラーを握っている方がよっぽど似合っていた。

 

母親曰く、かつのりパパは地元が新潟県ら辺らしく(いまいち覚えていない)、母親と別れる時に「実家の仕事を継いで医者になりたいから」と言って地元に帰ってしまったらしい。
今の私が考えれば「工業大学に入っている癖に医者になりたいとはどういうことだ?」「なぜ地元の北陸を離れ、北見の大学にわざわざ入っているのに、大学を変えてまで医者になろうと切り替えたのか?」「そもそも田舎の北見の大学と医大では難易度が違いすぎる。まずは浪人すれば良かったのでは?どういう風の吹き回しだ?」などと色々と疑問に思ってしまうのだが、うちの母親は「あたしにはよく分からないけど、かっちゃんが自分で決めたことだし、私ともものことよりも自分の人生を大事にして欲しかったの」「私がかっちゃんに頑張れって応援を言いすぎて、かっちゃんが辛くなっちゃったの。もう僕たくさん頑張ってるから頑張ってって言わないで欲しいって言ってたの。すごく申し訳なかったの」との事で別れたらしい。


私から見れば「実家の仕事を継いで医者になりたいから」などと言うことはほぼ嘘にしか思えないが、母親は大学生というものはすごく頭のいいものだと勘違いしていたらしく、医者になるというそのことをひたすらに信じていたらしい。もう既に頑張ってるからこれ以上頑張れって言わないで欲しいみたいな感じのことについては、うん、私も同意する。平成だけじゃなく、令和の時代でも同じ価値観だと思う。きっと、疲れちゃったよな、かつのり。

 

私は最近自分が大学生になって約1年半が経った。そこで気がついたが、大学生なんて生き物はモラトリアム真っ最中のガキなのである。大体の人間が精神の気分が中学生~高校生くらいで止まっていて、ただただ歳だけ食っているのだ。実際私もそうだ。
こんな感じの大学生が、相当の覚悟も無しに、当時子持ち27-28歳のシングルマザーで、やわらか新生児を抱きかかえている女と付き合い続けるなんてハードすぎる。そりゃ当時の大学生、かつのりも「医者になりたいから」云々嘘でもおかしくない言い分を並べ、ケツまくって逃げ出すことも仕方がない。なんで付き合ってたんだよ、かつのり、ちょっと考えたらわかるだろ、やめとけってことは。なよなよした風貌のあんたには、当時、自分の大学生活とうちの母親と付き合っていることを両立させることはさぞかしキツかっただろうに。私は彼に大きく同情してしまう。


私が小学生くらいの時、母親の影響で、私も大学生という生き物はとっても知識人の素晴らしい大人に見えていた。


当時は「かっちゃんパパ、名前付けてくれたのになんでももかのパパになってくれなかったの?」などということを言っていたが、今現在、自分も大学生になってみて思う、マジで無理。「子持ち27-28歳シングルマザーと結婚とか結構キツい。もっといい人との出会いがあるかもしれないのに、今このタイミングで結婚まで視野に入った付き合いとか無理。産まれたばかりの子供までいる。しかも自分のこさえたガキじゃない。」
色々考えて、キツい、重い、無理。それに尽きる。なんか無理、どうしたって自分の身分には重すぎる。


というか、大学生でパートナーがいる人の過半数が結婚なんてことをほぼ考えないだろう。大体の人間が付き合う位でちょうどいい時期な感じがするんじゃないだろうか。
平成の時代でも今の私が持っている同じ価値観が通じているのか分からないが、学生というプラプラした身分のやつがアラサーに差しかかるシングルマザーと付き合うのは無理があるのは大半の人に察してもらえるのではないか。

 

今頃、彼は30代の出口か、40代の入口辺りにいるんだろう。ある程度元気にして生活しているんだろうか。別に、彼を探し出してまで会ってありがとうと言いたい訳でもないし、彼の名付け親としての記憶がある訳でもないから恋しいとか懐かしいとか思うこともない。


これからどうしたい訳でもないが、1人の大学生がそんな歳になるくらい時間が経ったし、1人の乳幼児が20歳になるくらい大きな時間が経過したんだ。まだまだガキだが私もある程度は大人になったんだなぁと考えている。

私もそこまで意識している訳では無いけれど、時折「かつのり」という名前の人や、その人の苗字と同じ苗字を持っている人と出会うと「この人、私の名づけ親となにか繋がりがあるのかな〜」とうっすら考えてしまう。

 

過去に関わっていた人は今も私の預かり知らないところで普通に生活を送っているんだろう。
私はたまに、こうやって今はもう関わりのない人の呼吸を感じることがある。
これ、考えても思っててもあんまり意味無いことだな〜ということは自分自身わかっているつもりだ。
もう私も彼も、ほかの誰かも互いになんにも関係ない人間である。でも、過去の足跡を見るとみんなまだ近くにいる気がする。

 


今日も暑いね。そっちはどうよ?

ご挨拶

私の尊敬している好きな人がホームページを作っていたり、ブログをやっていたりするので私も気ままに始めてみようと思う。私は継続が苦手なのでこのブログ長続きするとは思えないが、まずは手をつけてみるところから始めよう。
 
 私の自己紹介を少ししよう。改めて自己紹介だなんて恥ずかしいものだなと気が引けるものだ。

 

 私はド田舎の大学生だ。最近20歳になった。自分が何を学ぼうというのもあまりわかっていないので未だにプラプラしている。

 

 私は精神が若干傷んでいてサボり癖がある。毎日きっちり学校に通えない人間だ。高校も卒業出来ないレベルで不登校であった。しかし、コロナ禍の恩恵と言うべきであろうか、熱が出ただの、何かしらの理由を言えば特欠になったので卒業に響かずに休むことが出来た。担任からの手厚いサポートと配慮によって滑り込みで卒業したと言っても差し支えないだろう。まともに高校にいけないこんな奴でも卒業出来るのかと思うと大変ありがたい限りである。

 

 大学に来たのは、もう少し勉強したいなと思ったことが一番大きな理由だが、(高校もまともに通えていないのに就職なんて……、もしそれができても働き続けられる訳が無い……)と思っている部分があったこともデカめの理由の一つだ。

 

 私は現在文学部に通っている。精神が傷んでいた影響で高校生活の半分ほどが、文字を全く読めない時期であった。好きな小説で同じ行を一時間以上なぞり、そのなぞった内容を持つ文章が当時の自分にはただ意味の無い絵や記号に見えた時の無力感はとてつもなかった。受験期の途中になってようやく文章が読めるようになったのは良かったものの、受験勉強のための文章ばかり読んでいた。その為、現在に至るまでに私は本でそこまでの冊数が読めておらず、とんでもなく恥ずかしいことに文学部としての知識も教養も全くない。以前より精神も回復してきた事だし、時間を取って本を読みたいとかなんとか思っている。思っているばっかりである。ゴミカスである。


 こんなところでどうだろう。大した紹介にもなっていないが初めてのブログだから勘弁して欲しい。ブログのように、改めて少し長い文を書いてみると自分で書いた文は、他人が書いたものより稚拙だと実感する。最近は特に精神が傷んでいるのでどうしようもなく悲しくなってきた。

 

 このはてなブログでは自分で書いたものをあげたり、日々思ったことを少し書き込んだり(Twitterで事足りている気もする)して使うことになると思う。もし私がなにか書いたものをあげたらフゥン……と目を通して貰えると嬉しい。

 

 まぁ、あまり外の人間のことは気にせずひとりで練習しながら読みやすい文章を作れるよう、気楽に少しづつやってみよう。

私小説:お題「夏」

授業で書いた私小説を載せます。作りも文章も粗いです。感想を貰えると嬉しくなります。

 

【本文】

 

 学校帰りの圭はじっとり汗をかいたまま、団地のコンクリートがむき出しのひんやりとした玄関に座り込んでいる。圭の家の表札は「218」と番号が書いてあって、小さい頃に手作りした苗字のプレートは色が日に焼けていて誰が住んでいるのかが分からないくらいにボロボロだった。緑で金属の重たい扉を開けば家の中に入れるのだが、ジジジジジジジジと団地の壁に引っ付いている蝉の鳴き声が耳に詰まって座りこんだまま動かない。
 足の先に熱い光が当たって靴先の色が強く目に刺さる。


 圭にはいくつかの外面がある。
 圭は学校では溌剌とした元気なヤツだった。友達とよく遊び、よく学び、テストでは何かしらの勉強で一番をとって帰ってくる。ひとりぼっちの子供がいたら声をかけて遊びに誘う優しい子供だった。


 圭の母親は最近仕事に行かなくなった。団地の緑で金属の重たい扉を開ければ中にいるのだ。

 

 圭は最近外面を操作出来なくなってきている。学校で友達と笑っている時に突然頬が濡れるのだ。なぜ涙が出てきているのかわかっていない。
 蝉がボトッと靴の先に落ちてきた。圭はハッとして立ち上がり、重い扉を小さな体で引っ張り家に入る。
 空いたビール缶のすえた匂いが圭の鼻をついた。部屋の中で一番賑やかな場所に顔を向けてみると灰皿からこぼれるタバコの吸殻と臭い液でベタベタな空き缶、その中で母親がきゃーきゃーとテレビの俳優に向かって手を振っている姿が目に飛び込んできた。
 圭は控えめに「ただいま」と言って、空き缶で埋め尽くされて少し歩く度にカシャカシャと音がする床を、足の裏を怪我しないようひっそりと歩いて、冷蔵庫の中にある麦茶を飲もうとした。

 しかし、部屋の中で一番賑やかなところから圭目掛けて吸殻が入った丸ごとの灰皿が飛んできた。肋に灰皿があたり鈍い音が圭の小さな身体中に響いて、散った中身が肌に飛ぶ。圭の細い左腕に火のついたタバコが落ちた。自分の汗と肉が焼ける臭いを嗅いだ。肋を打って息ができずに涎をダラダラ垂らしその場にうずくまる圭を見て、とても無邪気に声を出して母親は笑っている。
 圭はこの時、まだこの女のことを母親として愛していた。それと同時に、「いずれお前を殺してやる」と心の深いところに強く刻んでいた。